健康とは無縁の食生活はこちら


 

今でこそ健康を意識し始めたぷく太郎ですが、
これまでの自分の食生活を見直してみますと
確かに規則正しい食事とは言い難い…(笑)

 

食べることや飲むことが大好きなので、ついついやりすぎてしまうんですよね。
何事も、「〇〇し過ぎ」は良くないということを実感しています。

 

「健康的な身体」と「好きなだけ美味しい食事」どちらも両方を取れるのが
理想なんですが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」
これまたどちらも良いとこ取りをすることは難しい。

 

人間の生活ってハードモード過ぎません?
ちょっと誘惑多すぎますよね。

 

 

人のせいにしてすみません。

 

 

私自身は、自身に起きた過去のいろいろな経験から「健康体の維持」にやや寄った考え、
生活をしていきたいと志しています。

 

なぜそう思うようになったのか、過去にさかのぼってご案内します。
ぜひとも覗いてみてください。。。

 

 

「わんぱく小僧の幼少時代」

 

幼稚園・小学生のころの自分は絵にかいたようなわんぱく小僧でした。

とにかく日中は友達と外で遊ぶことが好きで、泥遊びだったり、
鬼ごっこ、ドッジボール、キックベース…

 

放課後は毎日17時頃のチャイムが鳴るまで遊んでいる、どこにでもいる元気な児童です。

 

よく遊び、よく食べる子でしたから、我が家の食卓にはおかずがてんこ盛りでした。
しかも不思議なことに、当時の私は味の違いがわかる舌をすでに搭載していました。

 

たまに母方の叔父が、出張土産で買ってきてくださる新潟、魚沼産コシヒカリが
お気に入りで、普段のスーパーで売っているお米で炊いたご飯の時と比べて
3杯、4杯お代わりしていました。

 

これには母も、「なんで言わないのに高級米の時はやたらご飯食べるんだろうねえ(笑)」と、

嬉しさを感じつつも苦笑いの様子でしたね。

 

 

「ラーメンとの出会い。不摂生への入り口」

 

中学生になり、少しづつお小遣いをもらうようになってからは友達と外食することが
増えました。

 

その時に出会ったのが「ラーメン」です。

 

いわゆるチェーン店のラーメンでしたが、レストランで食べるラーメンの美味しさは

家で作ってもらうサッポロ一番味噌ラーメンを凌ぐ感動を与えてくれました。

 

土日の部活(テニス部に所属していました)が終わってから、
友人と遊びに行くと必ずと言っていいほどラーメンを食べていました。

 

高校生、大学生になってからもその嗜好は変わらず、
「部活終わりの昼=ラーメン」という方程式が出来上がり、
友人を巻き込んではラーメン屋に通うように。

 

しかも当時は3~4時間運動していましたから、平然と大盛り、スープ完飲!!

ラーメン次郎およびインスパイアのコールは「ニンニク、アブラ、野菜マシマシ」がデフォルトです。

 

そんなことをしていても、当時は太りませんでした。
むしろ筋肉は少なく、もやしみたいな体型でした。(笑)

 

友人には、「少し筋トレしたら、良い体になりそうなのに…」と
よく言われてましたが、マッチョに憧れがなく何もしなかったです。

 

だって、辛いの嫌だし。

 

「営業としてのモットー」

 

社会人になってから、お酒を飲む機会が一層増えました。

 

大学生の頃も、サークル活動でそれなりに飲酒はしていましたが、
週に1回、たくさん飲む、といった感じでした。お金もなかったですし。

 

営業職として採用された私の会社はコッテコテのTHE 日本の企業。

「営業=お客様と仲良くなる=接待・会食」といったことが当然であり、

これができない人間は営業なんてできない!と言われていました。

 

私自身、お酒も、カラオケも、人と話すことも好きだったので
そういった文化になじむことは難しくなかったのですが、

 

「営業は腹が出てきてこそ1人前だ!まずはしっかり取引先と飲んで来い!」

という上司の「モットー」には、なんとなく古臭さを感じたのと

 

肥満体型になってもメリット無いし、鵜呑みにするのはやめておこう…と
自分を管理するようにしていました。

 

 

 

いや、管理しているつもりになっていただけなのですが…。

 

「久しぶりの友人との再会、衝撃的な一言」

 

社会人になってから、私は地元を離れ一人暮らしをしていました。

 

そんななか、夏休みということもあって友人を自宅に招き
思い出話に花を咲かせながら、自宅で飲んでいました。

 

ふと、男だけだったのと、夏で気温が高かったこともあり
上半身裸で椅子に座ったとき、友人から衝撃の一言が。

「さすがにぷく太郎も太ったな!腹がスヌーピーみたいだ!!」

 

 

なんですと…!!??

 

 

 

自分では気を使っていたつもりの体型でしたが、第三者の客観的な視線は
私の腹を通り越して、心をグサッと刺してきました。

 

自分では肥満体型と思っていなかったし、いや、まだ力入れればお腹硬いし…。

それでも、学生時代のガリガリな私を知っている友人から見れば、
見てわかるほどに激太りしていたようです。

 

 

 

スヌーピーって…。結構出てますよねえ…。

 

 

「一念発起!ジムへの会員登録」

 

夏休みに友人から「君の腹はスヌーピー」宣言を受けたスヌーピーぷく太郎は
早速会社の近くで通えそうなジムを探しました。

 

幸いなことに、会社の後輩に学生時代をジムでトレーナーのバイトをしていた
つわものがいたので、早速ジムに誘ってみました。

 

これまた幸いなことに、会社から約15分くらいのところに
都営の都民健康センターなる、なんと500円/日から利用できる施設がありました!
灯台下暗し。

 

民間のフィットネスクラブと提携しているようで、器具やトレーナーさんも充実しており
大浴場(ジャグジー付き!)もあって独り暮らしの私には、終業後に寄れる
最高の施設でした。

 

なんで今まで気づかなかったんでしょうか(笑)

 

会社の後輩と週に2~3回通うことで、トレーナーさんが組んでくれた痩せるメニューの
数倍キツい後輩メニューを、後輩に煽られながらこなす日々が続きます。

 

 

3か月も通ったころには少々お腹がきつくなっていたスーツがスッと入るようになり、
ベルトの穴も一つ緩めることができる、目にわかる成果が出たのです。

 

あの感覚、素晴らしいですよ。おお!やればできるじゃん自分!ってなります。

 

今思い出しても、あの時は気持ちも前向きで、なんだか人生が好転する予感がしていました。

 

 

「父、脳出血で倒れる」

 

そんな矢先です。
いつものように習慣化していたジムに通い、トレーニングを終えてスマホに目をやると
滅多にない母からの着信通知とLINEへの連絡がびっしり。

 

ただ事でない雰囲気を感じ取り、すぐさま電話を折り返した結果。

 

父が仕事先の現場で倒れ、救急病院に搬送されたという連絡でした。

 

自分自身も落ち着きがありませんでしたが、動揺を隠せない母をひとまず落ち着かせ、
翌日の会社を休み、明朝すぐに搬送先の病院へ急ぎました。

 

なんとか一命はとりとめましたが、脳出血で倒れた父は、ICU内で予断を許さない状態でした。
父は健康診断の結果上、要精密検査が必要な項目は特になく、
経過観察程度の結果でした。

 

ただし、見た目上は確かに肥満気味の体型でしたし、酒量も多く、
建設現場で忙しい日々の昼食はファストフードやおにぎり2個などの食事が大半でした。

 

幸い、命に別条のない段階まで回復を見せた父は、地元の一般病棟へ
うつることができましたが、半身不随という大きな枷を背負うことになりました。

 

 

我が家の大黒柱は、折れかかってしまったのです。

 

 

「暗転、自暴自棄、負のサイクルへ」

 

ここからの日々は本当にせわしなく、毎日が大変でした。

 

父が働けない=収入が0のため、賃貸で借りていた家も出ざるを得ません。

 

また、父は個人事業主の現場監督だったので、
資金の状況なども父が一人で管理していました。

初めて知る我が家の収入と支出の全貌。

 

母親すら知らない父による資金管理体制を、倒れた父の代わりに急遽やらねばなりません。

 

 

とにかく支出を減らさなければ。

 

所持していた車は廃車にし、駐車場も契約解消。
家も動ける家族で必死に片付け、まるで夜逃げするように母の実家へ転がり込む。

幼少期からとっておいた昔の思い出は、リュック一つに入るもの以外はすべて捨てることとなりました。

 

父の事業の破産申請や、家族を養うためにしていた消費者金融への借金返済など。。

当時はめまぐるしい日々が過ぎ、自分自身も消耗していきました。

 

幸せに家族みんなで、食卓を囲んでいたあの家は、もうありません。

 

母も私も妹も、疲弊しきって食事ものどを通らず。
私と妹の会社から頂く給料で2か月近くは過ごしました。

 

母を実家に連れていくまでは、夕飯もおにぎりだけなんて日は、ざらでした。

詳しくもない市役所への手続きや、どうしたら支出を少なくできるのか。
今後家族はどうなっていくのか。考えれば考えるほど、不安は膨らみます。

ストレスは溜まる一方で、

 

「自分は何をしているんだろう」
「この後どんな暮らしになってしまうんだろう」

 

ネガティブ思考ばかりが進み、都内での独り暮らしに戻った私は
サラリーマンの安月給を貯金することもなく、おにぎりだけの食生活への反動もあって
ヤケ食い、ヤケ酒で気を晴らすことばかり。

 

 

せっかく健康体になっていた私の身体は、すっかり元通りでした。

 

「心機一転、タイ王国での再スタート」

 

いつまでも私もへこんでいられません。

 

生活のためのお金を稼ぐためにも、働かねばなりません。

父の容態も安定したため、自分の体が五体満足で動くことに感謝し、

また営業マンとして忙しく、日本国内での毎日を過ごしていました。

 

丁度このころ、会社は海外展開を推し進めている時期で、ようやくタイ法人の
下地が出来上がったころでした。

 

これからタイ法人の営業力を拡大するために、若い人間を出向させたい。

そんなオファーがなんと、私にありました。
※私は一度、タイには研修という形で短期で生活した実績もありました。

 

願ってもないオファーでした。
父に何かあったら…ということも考えましたが、基本的には介護士さんがついています。

 

それに、飛行機で6時間もすればその日のうちに帰れるほどの距離です。

 

海外での出向は手当も国内より頂けますし、父はタイ含む東南アジアへの旅行が
大好きだった人間なので、彼が動けない分、写真をスマホで送ってあげたり、

お土産を買ってあげたい。

 

少しでも生きることに希望を持たせてあげたい。

 

私にとって、ピッタリの条件が整いました。

自分自身も、これからの社会を生き抜くための語学や専門スキル、海外でしか
味わえない経験、知識を身に着けてスキルアップできる大きなチャンスです。

 

 

私は、二つ返事でタイに駐在し、働くことを決めました。

 

 

「日本以上の接待文化 -昭和時代の再来-」

 

タイは人口約7,000万人ほどの国ですが、そのうち日本人は何名在住しているか
ご存じでしょうか。

 

答えはなんと、約7万人。そのうちバンコクは5万人超え!

 

東京都バンコク区と言われたりすることもあるほどの、日本人社会がここにはあります。

 

東京都のweb pageに寄りますとなんと、羽村市、福生市が5万~6万人ほどですので
ほとんど同じくらいの人口を占めるほど日本人がいます。

 

やはり製造業で工場勤務をしている方や、その営業職の方、日本人学校の先生など
幅広い職種の方が海外で生活をしています。

 

私ももれなく製造業にかかわる商社の営業なのですが、驚いたのが接待の多さ。

 

日本でも会食は多かったと自負しておりますが、ここタイでは週2~3日は当たり前。
凄まじい時は週5日会食があり、土曜に接待ゴルフなんてことも…。

 

 

新卒入社時に言われた「営業は腹が出てきて一人前」の言葉が頭をよぎりました。

 

この言葉は本当によぎっただけで、何か対策を打ち出すわけもなく

私も結局はバンコク在住日本人の洗礼を浴び、接待尽くしの毎日を送ることとなるのでした。

 

「忘れかけていた不摂生の恐怖」

 

タイに来て早1年。私の会社では駐在している人間は年に1度、特別休暇として
日本に一時帰国することができます。

 

この時も、久しぶりに帰国して滅多に会えない家族との時間を作り
実際の生活の話や日本とは異なる文化、言語、食事、お土産を持参しながら

他愛もない話で盛り上がりました。

 

会社からも、日本にいるうちに会社が提携をしている病院で健康診断を受けるよう
指示を受けていたので、健康診断を受けてからタイに帰国しました。

 

つかの間の休息も終わり、またタイで生活を始めようと思ったその時です。
日本の本社から健康診断の結果が送られてきました。

 

メールには

「※要再検査※すぐに病院に行きなさい」

 

え??

 

 

日本でゆっくりしてたのに?

身体のどこかが悪いの???

 

恐る恐る検査結果を確認すると、中性脂肪の数値が基準値の10倍近くをたたき出しており、
自分史上とんでもないハイスコアを見る羽目になりました。

 

すぐにタイで病院にかかり、再検査と診察を受け、血液採取などの精密検査です。

 

 

「何かの間違いであってほしい…」

 

そんな私の思いを汲み取ったのか、再検査の結果は

「ハイ、プクタロサァン、ケッカ、セイジョウデスネー」

 

 

 

やった!!

 

でも、基準値の範囲でどれくらいの数値かは気になったので検査結果に目を落とすと…

前回の結果の1/10
※基準値ど真ん中。

そんなことあります?どっちかの病院の検査機器おかしいんじゃ…。

 

と不安を覚えた私の気持ちをまた汲み取ったのか、

 

「オクスリダシテオキマスネー、シンパイイラナイ、マイペンライ!HAHAHAHA」

(マイペンライ=タイ語で「大丈夫!心配すんな!」

 

 

私の身体は実際のところどんな状態なんでしょうか…。

 

「健康体への意識、継続のために」

こんなやり取りがあってからというもの、自分自身で最も反省したのは

父が半身不随になったときのことを体験しておきながらその時の気持ちを
忘れかけていたこと。

 

突然半身不随になって自由を奪われた父の悔しさや、教訓、
それを活かして私は自分の人生を楽しまなければ。と思い返しました。

 

いや、楽しまなければ、なんてことはないんでしょうけど、

楽しく健やかに生きたいじゃないですか。

 

「人間は忘れる生き物だ」とはよく言ったもので、忙しい毎日を生きていると
当初の目標を設定した気持ちや、やる気は失われついつい怠惰な生活を続けがちですよね。

 

自分も例外なくそうでして、昔から飽き性、三日坊主。
周りに誰かがいれば何とかなるものの、自分との戦いのようなものは長続きしません。

 

進研ゼミとか母に泣きついて3回くらい入会しましたが、いずれも1か月程度で
挫折を繰り返し、4度目の正直は発生しませんでした。(笑)

 

 

でも、今回ばかりは自分の命に大いにかかわることです。

自分の家族が大変なことになった姿も見ました。

 

気を付けていても身体に異常をきたす人もいれば、どれだけ無制限に食べても
正常な身体の人もいます。

こればかりはコントロールできないことですから、自分ができることとして
健康に気を配ることは悪いことではないはずです。

 

 

これからの一生を精一杯楽しみ切るために、自分の健康維持の意識を保ち続けるために
このブログに記録していく所存です。

 

もしも同じように、健康維持のモチベーションを継続したい方が当ブログを読んで
皆様それぞれの目標や意識を思い出すきっかけになれば幸いです。


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ぷく太郎

食べることと飲むことをこよなく愛するアラサー男子。
ただし太ったり肌荒れは起こしたくないという矛盾を解決すべく、妥協点を探る毎日をタイ・バンコクで過ごしている。
初めての海外生活開始から2年が経過。

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